脳卒中
摂食嚥下障害は様々な原因で起こるが脳卒中は最も頻度が高く重要な疾患である。
脳卒中による摂食嚥下障害は摂食嚥下にかかわる器官や組織の機能的な動きや感覚が悪くなる(機能的原因)ために生じ、解剖学的な構造の異常による通路障害(器質的原因)は伴わない。
ただし障害が長期に及ぶと廃用性の萎縮や炎症により構造の異常による通路障害(食道入口部の開大不全など)を伴ってくる場合もある。
代表的な脳卒中として多発性脳梗塞、くも膜下出血、脳内出血がある。
脳卒中は英語ではstrokeで、「突然病気になって倒れる」という意味である。
秋田などでは脳卒中になることを「あたる(中る)」と表現されている。
脳血管障害(疾患)cerebrovascular disorderとほぼ同義である。
脳卒中には血管が切れる脳出血と、血管が詰まる脳梗塞がある。
脳出血には脳の実質内に出血する脳内出血(好発部位としては被殻、視床、小脳、橋)と脳の表面に出血するくも膜下出血がある。
脳梗塞には動脈硬化に伴う脳血栓(比較的太い血管が詰まるものはアテローム血栓性梗塞、細い血管が詰まるものはラクナ梗塞)と心臓などから血栓が飛んできて詰まる脳塞栓に分けられる。
病態によって、治療法や再発予防の薬剤などが異なる。
脳卒中はいくつかのタイプがあるが、症状は「脳のどの部分が損傷されるか」で決まってくる。
脳梗塞であっても脳出血であっても同じ脳の場所が損傷されれば似たような症状を呈する。
逆に同じ脳梗塞であっても損傷される脳の場所が異なれば症状も異なる。
また、脳卒中急性期の症状は「経時的に変化する」ことに特に注意しなければならない。この原因は病変部位が広がったり、脳浮腫が生じたりするためである。
また、同じ病変部位であっても、症状は年齢や基礎疾患のなどと共に全身の血圧や呼吸状態、電解質などの影響を受ける。
損傷を受けた脳は基本的に再生しないため、後遺症を残すが、治療やリハビリテーションである程度の機能回復が期待できる。
虚血性ペナンブラと呼ばれる部分は、細胞自体は生きているが機能が停止していると考えられ、この部分の回復は十分期待できる。
最近は脳に可塑性があることが報告され適切なリハビリテーションで、これまで回復されないと信じられていた失われた機能がある程度、再獲得できるとされている。
繰り返しになるが「脳卒中急性期の症状は経時的に変化する」ことをしっかり認識しておく必要がある。
特に発症から1週間は慎重に対処しなければならない。
入院したときにスクリーニングで問題ないから常食を出したところ次第にむせるようになり、3日目に肺炎になったというケースは多い。
肺炎になるとリハビリテーションが遅れ、生命予後にも悪影響を及ぼす。発症3、4日は脳浮腫が出やすいため要注意。
脳浮腫が生じると意識障害が出ることがあり、この意識障害(後述)が嚥下に悪影響を及ぼす。
再発例(両側障害)や高齢者は「危険が常にある」と思って対処することが大切である。
摂食嚥下障害の罹患率や有病率を知ることはきわめて大切であるが、これを調べることはきわめて難しい。
健常者でもむせることはあるし、むせない誤嚥という問題もある。
何を持って摂食嚥下障害と診断するかという診断基準が曖昧であるためである。
本邦における摂食嚥下障害の頻度を質問紙を用いて調査したところ
65才以上の健常高齢者1313 人 (男性575人、女性 738人)で13.8%の方に嚥下の問題があると考えられる。
脳卒中による摂食嚥下障害は、発症からいつごろを問題にするかで頻度が異なる。
急性期(発症から1週間以内)の患者では30%~100%(報告による)と高いが、
回復期や生活期患者の場合、5-10%とされる。このことから摂食嚥下障害による合併症の予防には急性期の対応が重要であり、
急性期を合併症なく乗り切れば、多くの患者は摂食嚥下障害に対する特別な介入がなくても改善することが分かる。
急性期の摂食嚥下には意識障害や薬物(特に抗けいれん剤や向精神薬など)の影響があることを念頭に置く必要がある。
脳卒中による摂食嚥下障害には、
意識障害を伴う大きな病変、偽性球麻痺(仮性球麻痺)、球麻痺の3つのタイプがある。
一側性の大きな大脳病変では意識障害が起こる。
意識障害は脳幹網様体の機能が低下するために起こると考えられるが、嚥下の中枢は延髄の脳幹網様体にあり、機能低下はすなわち嚥下機能の低下と直結する。
意識障害があれば意識という認知機能だけでなく、口腔・咽頭などの狭義の嚥下機能も低下し、摂食嚥下障害があると考えるべきである。
意識が悪いときは生体の反応が悪い。
これは誤嚥したときにむせにくいと言うことにもつながる。
意識障害は変動するので摂食直前の状態を必ずチェックするとともに、摂食中にも意識レベルが低下する場合があることを念頭に対処しなければならない。
例えば、食事はじめは覚醒していたが食事中に傾眠傾向になることを時々経験する。
この場合は食物が消化管に入ることで消化管の血流が増加して脳血流が低下したり、副交感神経が優位になったりすることなどが原因であるが、誤嚥していたり、嚥下性の無呼吸が原因で血中酸素飽和度が低下したための意識障害という可能性もあり得る。
意識レベルが低下したら、その原因を突き止め適切に対処しなければならない。
一方、意識障害を伴わない一側性の大脳病変でも急性期に嚥下障害を呈する報告がある。
この場合嚥下障害のタイプは偽性球麻痺を呈するが、障害は比較的軽く、数ヶ月もの長期に及ぶことはない。
大脳半球の損傷の左右差があり、右半球損傷では咽頭反射時間が遅れ、水分の誤嚥・侵入が多いと述べている。
また大脳一側性病変による嚥下障害は島前部が大切な役割を果たしている。
急性期脳卒中の1/3に嚥下障害があり、嚥下障害があると死亡率も高いが、多くの嚥下障害は1週間以内に改善する場合が多い。
彼らは嚥下に関して大脳半球の優位側を想定し、一側性の大脳病変でも優位半球が損傷されると嚥下障害が長期化する。
一側性の大脳病変では遠隔効果(diaschisis、ダイアスキーシス)により対側大脳の脳機能が低下している可能性があり、
この機序を想定すると通常の偽性球麻痺の病態として摂食嚥下障害が起こると考えることもできる。
いずれにしても意識障害を伴わない一側性の大脳病変で摂食嚥下障害が起こることは事実であり、脳卒中の診療をする場合に念頭に置いておかねばならない。
偽性球麻痺は延髄に対する両側の上位運動ニューロンの損傷でおこる。
損傷部位は皮質・皮質下、基底核、脳幹部(中脳、橋)など病変部位によって様々な組み合わせがあり得る。
皮質・皮質下では損傷される脳の部位に応じて失語症や半側空間無視などの高次脳機能障害を伴うことが多い。
臨床的に遭遇する重度の偽性球麻痺では口腔期障害が目立ち、重度の構音障害を伴うことが多い。
嚥下反射は起こりにくいがアイスマッサージ後の空嚥下やKポイント刺激で嚥下反射が誘発され、パターンは正常である。
また、スライス型ゼリーを奥舌や直接咽頭に入れると嚥下反射(咽頭期)は比較的スムーズにおこり嚥下出来る症例が多い。
なお筋力低下を伴うと嚥下反射が起こっても食塊は咽頭に残留してしまう。
口腔期・咽頭期の各器官や組織の動きに左右差はない。
口腔期の障害が目立ち構音障害も顕著である。構音障害の特徴は痙性で努力性である。口唇の閉鎖が不良で流涎も目立つ。
一方球麻痺は延髄の嚥下中枢(疑核、孤束核、Central Pattern Generator:CPG)が損傷される。
嚥下反射がなかなか起こらず、起こってもパターンが乱れている。
臨床で一番よく見る球麻痺はWallenberg症候群である。これは延髄外側症候群とも呼ばれ、延髄の片側の損傷であり、嚥下障害の臨床で遭遇する例ではADLが自立していることが多い。
特徴は咽頭壁や披裂・声帯などの動きに左右差(病巣側の動きが不良)が見られることである。
特に食道入口部(輪状咽頭筋)の開大に左右差があり、食塊の咽頭通過側の左右差がリハビリテーションに大きな影響を与える。
構音障害は比較的軽度で失調性で弛緩性、開鼻性が目立つ。
唾液が嚥下出来ず常にティッシュなどに喀出している患者が多い。
延髄より上部の脳幹病変では原則として偽性球麻痺となるが、中脳や、橋の大きな病変では急性期に嚥下反射が全く起こらず球麻痺と同じ病態となる。
これは脳幹全体が機能不全に陥るためと考えられる。救命された場合は延髄が損傷されていないので重度の偽性球麻痺となる。
典型的な偽性球麻痺のVFでは、球麻痺と違い、咽頭全体が唾液の充満なく比較的きれいに見えることである。
プリンを奥舌に入れるとだらりと咽頭に送り込まれ、そのまま嚥下が起こる。
舌の動きが不良で食塊は丸飲みされる。
はじめは誤嚥も咽頭残留も見られないが嚥下を繰り返し、ゼリーからとろみ食に変わると咽頭残留が目立ち始める。
このように偽性球麻痺では易疲労性のために後半に残留や誤嚥が多くなることがある。
Wallenberg症候群は延髄外側の病変で起こり、教科書的な症状としてはめまいや嚥下障害、ホルネル症候群などと共に失調症状があり、舌(舌下神経)と四肢の運動麻痺がないこと、また、顔面交代制の温痛覚障害を呈するが深部感覚・触覚(後索)が保たれるいわゆる感覚解離が特徴である。
ただし臨床で典型的なこれらの症状を全て有する例は多くない。
なお、舌や四肢の運動麻痺、深部感覚・触覚障害を伴う場合はより広範囲な延髄半側病変である。
食道入口部の食塊通過に左右差が見られ、VEでは泡沫状の唾液が咽頭に充満している特徴的な画像が見られる。
典型的なワレンベルグ症候群では、泡沫状の唾液が充満し、空気を含んだ泡沫状の唾液は軽いために喀出できず、咽頭を充満するように残留してしまうことが多い。
球麻痺患者では唾液を常に咳で喀出していることが多い。
カーテン徴候では、右(左)咽頭壁の動きが不良の場合、咽頭後壁が左(右)に動く(左の咽頭が収縮するために右の咽頭が左に引かれる)。
右鼻咽頭の収縮も不良である。
球麻痺のVF側面像では、咽頭収縮、喉頭挙上ともに不良で食塊は咽頭を通過しない。
球麻痺のVF像では、球麻痺は正面像を見て左右差を確認する必要がある。
右球麻痺場合には、右の通過が不良で、後半では左下側臥位、頸部右回旋(左下一則嚥下法)をすることにより左食道入口部を通過する。
延髄の病変とそれに伴う主な症状は、症候群として名前が付けられてるものが多い。
Wallenberg症候群は失調症状はあるが運動麻痺は伴わず、顔面交代制の温痛覚障害を呈するが深部感覚・触覚(後索)が保たれるいわゆる感覚解離が特徴である。
舌や四肢の運動麻痺、深部感覚・触覚障害を伴う場合はより広範囲な延髄半側病変である。
一方、延髄内側病変では舌に運動麻痺が出て深部感覚・触覚が障害されるという特徴がある。
延髄病変にはいろいろな症候群が知られているが、病変部位を外側、半側、内側、末梢のように整理して理解すると混乱しない。
なお、両側延髄の損傷では呼吸などの生命維持機能も損傷されてしまい、嚥下障害の治療対象とならないことがほとんどである。